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タティングレースとの出会いが
素敵なひらめきの瞬間となり、
すべてが好転していく起点となったミャンマー×日本
タティングレースの繊細なアクセサリー

母から娘へ受け継ぐ丁寧な手仕事

ミャンマー語で「素敵」という意味を持つブランド名「Hladee(ラーデー)」のイヤリングを付けた山本さん。肩にかけているのは、タティング編みのストール

Hladee(ラーデー)とはミャンマー語で「素敵」という意味。素敵なものと出会いが、もしかしたら人生まで変えてしまうこともあるかもしれない――。実際にそのような経験をした人います。Hladeeのコーディネーター・山本久美子さんです。

山本さんは、ミャンマーの女性の手による「タティングレース編み」を用いたピアスとイヤリングを製作、販売しています。ミャンマーにおいてタティング編みの技術は、19世紀から20世紀前半のイギリスに統治されていた時代に伝わり、お祈り用のショールを編むため母から娘へ代々伝承されてきたそうです。

ヤンゴンでの生活を前向きに変えたタティング編み手との運命的な出会い

山本さんの人生を変えることとなったミャンマー、そしてタティングレース。かけがえのない出会いに行き着くまでには長いトンネルがありました。

「夫の仕事の都合で、2014年から2年間の予定でミャンマーの旧首都・ヤンゴンに駐在することになりました。当時、大学事務をしていた私はできれば仕事を続けたいという思いがあって、正直言うと行きたくなかったんです」

まだ昨今のような目覚ましい発展を見せる前のミャンマー。降り立ったヤンゴン国際空港周辺は暗く、歩道にも信号がなく危険なため、運転手付きの車がないと自由に移動ができません。車は、朝、子どもを学校に送ったあとから迎えに行くまでの数時間しか、山本さんが自由に利用できる時間はありませんでした。しかも、道路は毎日大渋滞。育ち盛りの子どもたちに食べさせるにも、思うような食材が手に入らず、お肉に鶏や豚の毛がついていても目をつぶって洗っていたそうです。まわりに日本人がいないので、何か相談したりおしゃべりしたりすることもできませんでした。

後ろ向きなところからスタートしたミャンマーでの生活。ところが、親切なある日ドライバーから「日本人を尊敬しています。あなたを尊敬しています。あなたのドライバーになれてよかった」と言われたり、現地の人々から「日本は水道をつくってくれた、ありがとう」「信号や橋ができたの日本のおかげだ」と感謝されたり。「私は何もしていないのに」と、山本さんは悩むようになりました。今の生活を楽しめないことに落ち込み、何かしたいけれどもできないことにもがき、自分はこのままでいいのかと苦悩し、ただ鬱々と空虚な時間が流れてゆく……。そんな山本さんに、日本の友人はこんな言葉をかけました。

「日本ではミャンマーの情報があまりないので、素敵な伝統工芸品などを見つけて日本で紹介してみたら?」

タティングレースをさらに美しく見せるひと工夫

その一言で、これまでぼんやりと眺めていた町や市場の見方全てが興味へと変わりました。そんなとき、たまたま訪れた市場でみつけたのが、タティングレースのお祈り用のショール。一本の糸から生み出される繊細な模様。その華やかさ、美しさに魅せられました。タティングレースは水牛の角でできたシャトルという道具を使い、手元を見なくても編めるため、電力事情が悪いミャンマーの女性たちがする内職として好都合なのだそうです。そして製作に時間のかかる難しい技術を知るほどに、職人が買い叩かれて安価に売られていることに胸が痛みました。これをピアスやイヤリングにしたら日本の女性にも受け入れられやすく、職人に適正な対価を支払うことができる! 瞬間的にひらめきました。

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タティングレースはこうして編まれていく。インタビュー中に目の前で再現してくれた

「さっそくドライバーに通訳をお願いし、職人さんを探し始めました。誰に聞いても『ミャンマーの北部に行けば誰でも編めるよ』と言われ、ヤンゴン市内で探すことは困難でした。毎日毎日探し続け、最後に洋裁学校に行ってみると校長先生が卒業生で編める人がいると紹介してくれました。

奇跡的だった職人さんとの出会いに感謝

紹介された女性は、なんと山本さんが住んでいたお家のご近所さん。娘を学校に行かせるために働いていましたが職を失ったばかり。明るくてまじめ。しかも高い技術の持ち主。「彼女だから高い品質の商品ができた。他の方では難しかったと思う」と山本さんは語ります。

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職人さんのお宅の様子。

さっそく山本さんは彼女の家に通い、商品開発を進めました。大きさ、パターン(模様)、糸の種類を試行錯誤。さまざま試した結果、糸を含め材料は日本で購入することにしました。山本さんが把握できないほどたくさんのパターンがあるため、サンプルとして編んだものも商品と同等の価格で買い取ることで、彼女にも積極的にアイデアを出してもらうように促しました。販売は、ミャンマーの伝統や手仕事の維持・継承に取り組んでいる現地のパートナーdacco.myanmarに協力してもらっています。

山本さんは2016年に帰国。

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職人さんと山本さんの仕事風景

さらにいいものを作っていく

「ミャンマーに渡った当時、中学3年生と中学1年生にだった子どもたちは、いま大学1年生と高校2年生になりました。長男は途上国に関わる仕事がしたいと進学し、長女は国際看護師への夢を持ち勉強中です。一方、ミャンマーにいる職人さんの娘さんは日本語に興味を持ち勉強を始めました。以前、商品の発注などはお母さんと英語やミャンマー語でメールしていたのですが、今は娘さんと日本語でやりとりしています」

素敵なものがつないだ縁。今後はお母さんの工房長としての自立、新たな女性職人の雇用創出、そしてさらに素敵な新商品を生み出すことを目標としているそうです。

文:安楽由紀子、写真:一井りょう

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