村の人々に
自分たちの可能性を伝えていくこのプロダクトは
そのためにあるのです。

心が満たされる生き方を探して
タイで生まれたナチュラルコットン専門のアパレルブランド『FolkCharm』の創設者であるパサウィー・タパサナンさんは、バンコクで生まれ育ち、両親の仕事の都合で11歳から4年間は日本で生活していました。「なぜ日本のような裕福な国でホームレスがいるのか」と強い違和感を感じ、将来は社会課題の解決に携わりたいと思うようになったと言います。

バンコクに戻り大学院で農村開発の経済を勉強したパサウィーさんは開発分野で就職。最初は政府系の団体に、その後国際NGOに転職しました。仕事では尊敬する人にも出会いましたが、どこかで心が満たされない日々だったと言います。「私は誰かのミッションを達成する為に働いていて、それは私自身のミッションではなかったのです」
何がしたいのかを考えるうちに立ち返ったのが“手しごと”が好きだということ。ちょうどその頃、最初の仕事で繋がりのあった人からビジネスコンテストがあることを教えてもらい、タイの農村部の“手しごと”をストーリーとともに消費者に届ける企画を提出したところファイナリストに選出され、彼女は起業家としての道を歩み始めます。

農村に通い続けることで関係性が磨かれていく
友人の紹介でコットン栽培や織り手の村に通い始めたパサウィーさん。しかし村の人たちとの関係の構築は試行錯誤のプロセスでした。「最初は“私は他よりも高く買うから生地を卸してほしい”とお願いしていました。でもそれだけではうまくいかなかった。彼女たちにとって私はただのシティーガールで、私が入ったことでややこしくなってしまった村もありました」。その際に事業を続けることと、自身の強さを信じることへの覚悟を問われたと言います。


それでもパサウィーさんは根気よく村に通いました。村で織られた生地がどのような服や小物になったのかを村の人たちにも見せると、“ファッショナブルね!”と喜んでくれたと言います。「これまで自分たちの生地が市場にどんな商品として出ているのか知らなかったそうなのです」。服を買う人たちに村の魅力を伝えるだけでなく、村の人々に自分たちの持つ可能性を伝えていくこと。それがパサウィーさんの役割になっていきます。

「今も村の人たちは私を彼らの一員だとは思っていないと思います。でも私がいることに慣れてくれた感覚はあって、その距離感は良いものだと思っています。大切なのは村の人たちが自らの丁寧な仕事に対してフェアな金額を受け取ること、私たちが利益を分かち合えること、そして彼女たちに今までになかった機会を提供できること。この3つが私が『FolkCharm』をやっていく上でずっと大切にしたい価値なのだと確信するようになりました」
ナチュラルであることへのこだわり
「ハンドメイド好きで始まった事業ですが、続けるうちに服飾産業が環境に与えるあまりにもネガティブなインパクトを知るようになりました。例えばシルクは鮮やかな色を出すために化学染料を多用しますし、コットン栽培は元々農薬に頼ってきた歴史があります。でもそれは環境にも、作り手の健康にも負荷がかかることになります」


オーガニックコットンを実際に育てることは、簡単なことではありません。オーガニックの認定を受けるためには3年間の間、その土壌で農薬を使ってはいけないという厳しい基準があります。しかしそうやって作られたオーガニックコットンの価値を分かってくれる人たちのところに届けば、持続的なコットン栽培ができる。
パサウィーさんはその魅力がきちんと伝わるよう「生地を見てデザインを考える」ことを徹底しているそうです。この生地だったらどんな服が良いだろう?と考える過程はとても楽しいと言います。





すべてはクラフトマンシップ
『FolkCharm』というブランド名は「農村の美しさ」という意味。農村の美しい暮らしや織り手の人たちの物語を、商品を通じて伝えていきたいという思いが込められています。「農村に通い、寝食をともにさせてもらううちに、彼らの守ってきたシンプルな生活スタイルや、職人としての高度な技術にどんどん魅了されていきました。その魅力を丁寧に伝えていきたい」とパサウィーさんは語ります。


「これまで東南アジアの織物は安く色彩鮮やかなのに3日で破れてしまうといった課題を抱えていました」とパサウィーさんは言います。コットンの栽培、手織りの技術、縫製、そのすべてが尊敬されるべき職人技である。丈夫で土にも人にも優しく、そして飽きのこないものを届けていこうとするパサウィーさんの挑戦はそのアンチテーゼになるかもしれません。

folkcharmシリーズ
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文:寺井暁子 写真:望月小夜加