soratohito
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美しき伝統、
インド刺繍を日本の縫製で仕立てる

人生を変えたカンタ刺繍との出合い

美しい村の風景を描いたカンタ刺繍

色鮮やかな糸で、ひと針ひと針ていねいに施された刺繍。布いっぱいに咲き乱れる花々や躍動する動物たちにそっと触れると、いのちの輝きが伝わってきて、じんわりと胸が熱くなります。

インド刺繍に魅せられ、その美しさを伝えるファッションブランド「itobanashi(いとばなし)」を2017年に立ち上げた伊達文香(だてふみか)さん。初めてインドの地を踏んだのは18歳。心理学を学びながら、ファッションショーを開催するサークル活動を楽しんでいた大学1年生のときでした。

「アジア圏内で、あまり日本人が行かなくて、また行きたくなるような国に行ってみたい。そう思ってgoogleで“アジア もう一度行きたい国”を検索したら、一番上に出てきたのがインドだったんです(笑)」

インドとの出合いは“ひょんなご縁”でしたが、旅の最中に東日本大震災が発生したことがひとつのターニングポイントに。呆然とする伊達さんの中で、日本を気遣うインドの人々に親近感が芽生えたのです。大学院へ進学してもなお、心を占めていたのはインドのこと。こんな気持ちのまま卒業するなら…と修士課程1年修了とともに休学し、半年間のインド留学に踏み切りました。

葉脈のような透かし模様が美しいチカン刺繍

「現地のNGOと一緒に開催した人身売買被害の少女たちを支援するファッションショーで、ベンガル地方に伝わるカンタ刺繍に出会いました。あっと驚くようなものではないのですが、ちくちく刺された素朴さがとってもいいんです。軒先で日がな一日刺繍をしている人たちの姿も、素敵だなあって!」

インド刺繍を守ること、そして日本人女性に豊かさを伝えること

最初は、小さな気付きに過ぎなかったのかもしれません。けれども、伊達さんは何かに導かれるかのようにたったひとりで “刺繍に出会う旅”に出発し、2週間かけて各地を歩きました。

「染め物は、きれいな水が手に入る地域でないとできません。織物には大きな織機が必要ですよね。その点、針と糸と布さえあれば、どこでもできるのが刺繍。誰にでも平等に開かれているところが魅力ですね。技術も図案も地域によって違っていて、それぞれが1000年ほどの歴史をもっています。長い時間をかけてつくり上げられた世界観が、1枚の布に詰まっているんですよ。しかも、ストールのサイズに刺繍をするのに数カ月かかることもあるそう。それは、これまでの私の人生にはなかった時間の流れ。ただただ、すごいなあって。美しさだけではなくて、そんな歴史や時間にも惹かれました」

一方、著しい経済発展の中で刺繍職人がUberの運転手に転職するなど、手しごとが失われつつある現状も知りました。インドの刺繍文化や職人の生活を守りつつ、日本の女性にも刺繍を通して豊かさを感じてもらえるようなことができないだろうか? 湧き上がる思いを企画書にまとめて旅先から日本のビジネスコンテストに応募したところ、まさかの優勝を果たすことに。あれよあれよという間に協力者が現れ、修士過程修了から半年後には起業が実現しました。

「itobanashiという名前は、現地の方々と相談して決めました。糸を紡ぐ人、下絵をつくる人、刺繍をする人、縫製する人。みんなが登場人物になれる物語のようなブランドに育てたいですね」

ストーリーよりも、「もの」としての美しさに惚れ込んでほしい

コルカタのポンチャンナガルにて、作り手の女性たちと

扱っているのは、ベンガル地方のカンタ刺繍、カシミール地方のアリ刺繍、ラクノウ地方のチカン刺繍。各地に点在するパートナーとは、直接交渉をしながら信頼関係を築いてきました。

「文化も習慣も違う人たちとのビジネスは簡単ではありません。でも、私自身、心から刺繍が好きで広めたいと思っている気持ちを相手も感じてくれるのか、職人から拒絶されたことはほとんどないです。良いものを作りたいという彼らの気持ちと共感しあえていれば嬉しいです。」

洋服に仕立てるためのデザインは、伊達さん自身が手がけます。

「目指すのは、刺繍の魅力を最大限に生かしたデザイン。たしかにインド刺繍にはたくさんのストーリーが詰まっているけれど、まずは“もの”としての美しさに惚れ込んでほしい。だから、いかに刺繍が美しく見えるのかを大切にして考えています」

人生をほんの少し変える洋服を日本の女性たちへ

纏うことで、人生が少しだけ変わる。日本の女性たちに届けたいと思っているのは、そんな体験です。

「お客さまの多くを占める50代以降の方々は、次のステージへ進むための“何か”を探されています。そうした方から、洋服を買って外出する機会が増えた、新しいことを始めた、と言っていただけると本当にうれしいですね」

刺繍に感動した日本人女性からの手紙を読んで「自分たちの仕事には、これほど価値があったのか」と現地の職人が驚いたことも。こうしたつながりも、まさに望んできたことでした。

カシミールに工場を!

カシミールのスリナガルの工房にて

2019年夏、アリ刺繍の産地であるカシミール地方の政情不安が激化。現地では銃声が響き、市民は経済的にも困窮しました。

「カシミールというと灰色の街を想像しませんか? でもそこで、こんなにカラフルなものがつくられているんです。現地の職人たちは、とにかく刺繍のオーダーがほしい、と。一時的な同情ではなくて、買い続けることで力になりたいですね。カシミールに工場をつくることも考えています。怖いといえば怖いけれど、日本にいたって死ぬときは死ぬでしょう?(笑)。大変だからこそ、面白さもやり甲斐も感じますね」

3年かけて語られてきた“糸話”は、まだまだ続きます。

刺繍を纏い、人生に輝きを見い出した人もまた登場人物のひとり。

そこにはいつか、あなたも名を連ねるのかもしれません。

itobanashiシリーズ

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文:棚澤明子 写真:牧野公子