運命を変えた
ボナイリ村との出会い
アフリカのイイものを
誇りとともに伝えたい
なんとかしなくちゃ、という思いに導かれて
「中学生のときに、ゴミ拾いで生計を立てているフィリピンの女の子のドキュメンタリーを見たんです。その子は8つ下の妹と同じ年。『こんなの絶対ムリ! なんとかしなくちゃ!』っていう強烈な違和感がすべてのはじまりでしたね」
原ゆかりさんは「なんとかしなくちゃ」という思いに導かれるように外務省に入省し、さらに国際保健を学ぶためにコロンビア大学大学院に留学。2012年、インターンとしてガーナのボナイリ村に滞在したことから、人生が大きく動き始めました。
Google Earthに存在しない村、ガーナ・ボナイリ村へ

首都アクラから飛行機で1時間、さらに1時間近く車を走らせたところにあるボナイリ村。Google Earthにも載っていないこの小さな村に、原さんはインターンとして半年滞在しました。
「公用語だという英語も、現地のメジャーな言語だというチュイ語も通じない。水の入ったバケツを頭にのせて運ぶことも火を起こすことも、私にはできない。役に立てるだろうと思って行ったのだけれど、村の人たちからは『この子、なんにもできないぞ!』って(笑)」
現地の人々は、そんな原さんを温かく受け入れました。後々聞いたところによると、原さんが現地の宗教を尊重して肌を出さなかったこと、どんな食事もおいしそうに食べたことから、村の人たちはすぐに心を開いたのだそう。
“青空幼稚園”に園舎を建てよう!
これまでに卒園した1000人超の子どもたちは、「しつけが行き届いている」と小学校の先生からも高評価。教育という土台を整えて、将来的に活躍できる人材を…という考え方に基づいて、現在は園舎が増築されただけでなく、中学校も新設されています。
「滞在2カ月目に、何か恩返しをできないかと相談したら、幼稚園を作りたいと言われました。村の幼稚園は木の下。園舎がないから風雨をしのげないんです。それで、MY DREAMプロジェクトと名づけて日本で30万円の寄付を募って、園舎を建てました。開所式で村のリーダーが『日本やアメリカのみなさんのおかげでこんなに立派な建物ができた。ここから先は僕らの仕事だ。見ててくれよ!』って宣言したのがカッコよかったですね」

2013年に大学院を卒業し、アクラにある在ガーナ日本大使館で勤務するようになった原さんは、毎月週末にボナイリ村に通うようになりました。
「このときに、MY DREAMを正式に現地のNGOとして登録することにしたんです。寄付に頼らない社会をつくること、村の発展を担う次世代を育てることなどを目標に10カ年計画も立てました。村の人たちひとりひとりがドライバーシートにすわって、『これは自分達のプロジェクトだ』と考えていましたね」
「何もしなければゼロのまま。失敗を恐れる理由なんか何もない」という現地の人々の考え方に触れるうちに、原さん自身もより行動的になっていきました。
「とくに、MY DREAM.orgの共同代表ザックからは学びましたね。彼は村のリーダー的存在であるがゆえに嫉妬され陰口を叩かれることもあるのですが、『俺たちには実績がある。ノイズには耳を貸すな。自分が信じることをやり続けるんだ』って。武士みたいな人でしょ?(笑)」
「お母さんみたいな縫い子さんになりたい!」
村の収入源として可能性を感じたのは、女性たちが昔からつくっていた布製品。アフリカの多種多様な文化や豊かな自然を思わせる鮮やかな色合いは、世界中の女性たちを元気にしてくれそうです。

「このコットンプロジェクトを収入源にしようと思ったら、チャリティで1回だけ買ってもらえるような品質じゃダメ。そう思って数年がかりでダメ出しを続けたので、うんざりされた時期もありました(笑)。でも、商品化が実現した頃からつくり手の顔つきが変わってきたんですよ。
驚いたのは、子どもたちが『縫い子さんになりたい』って言うようになったこと。自信にあふれたロールモデルが身近にいることは、サステナブルな社会においてすごく大事なことなんですね」
出会いに導かれたシアバタープロジェクト

一方で行き詰まっていたのが、シアバタープロジェクト。100%天然のシアバターが伝統的に作られていること、海外から買い叩かれていることは以前から知っていたものの、収益化への道筋は見えないままでした。
「2018年にアクラで、スタイリッシュなパッケージのガーナ産コスメ“Skin Gourmet(スキングルメ)”を見つけたんです。連絡先を探してたどり着いたのが、ブランドの創始者バイオレット。『3秒にひとつは新企画を思いつくの!』という彼女とはすぐに意気投合しました。彼女がボナイリ村産シアバターの品質を認めてくれて、自社製品に全面的に使ってくれることになったんです。出会いに助けられましたね」
今回のコロナ禍でバイオレットはすぐにハンドサニタイザー(手指消毒液)を開発し、売上1本に対して1本を国内の貧困家庭に寄付すると決めました。「海外からの支援に頼る国」というイメージがいまだに残っていますが、実際は誰かのために行動する強くて優しい女性が輝いています。
“SKYAH“、5つの文字に込められた思い
ボナイリ村との出会いから8年。すでに外務省を退職していた原さんは、2018年に日本で(株)SKYAH(スカイヤー)を立ち上げました。村のてしごとから生まれる収益をMY DREAM.orgに還元し10カ年計画を支えることに加え、アフリカ各国のブランドを世界発信したり、日本企業のアフリカ進出のサポートを行っています。
「SKYAHでは、2019年にECサイト“Proudly from Africa(プラウドリー・フロム・アフリカ)”をリリースしました。コットンプロジェクトのメンバーには、いつか自分のブランドを立ち上げてほしい。このサイトはそのときの“出口”、つまりショールームのような場として作ったんです。現状では、アフリカの5カ国12ブランドを紹介しています。アフリカのクリエイターたちは、偏見ゆえに足元を見られることが悩みのひとつ。古いイメージを覆して彼らの魅力を伝えられるサイトとなるように、デザインにもこだわったんですよ」
“SKYAH”とは“Sky & Hope”の頭文字。「同じ空の下、みんなのHopeをつなげて新しい価値を生み出せるように」という思いがこもっているそう。
「実はこれ、家族の頭文字でもあるんです(笑)。家族には、すべてにおいて支えられてきました。いまは、妹がスタッフとしてがんばってくれているんですよ」
出会ってきた人たちへの思いを胸に、ここまでの歩みを振り返る原さんの笑顔には清々しさが満ちていました。
「まるで何かに導かれるようにしてここまで来ました。小さな挫折はたくさんあったけれど、必ず誰かが先回りして助けてくれるんです。振り返ってみるとすべてがいまに、そしてこれからにつながっています」
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